江戸時代に見られる
東アジアの文化ネットワーク

田中優子


 16〜19世紀中頃まで、日本を含む東アジアには、以下のようなことがらで交流やネットワークがあった。
1、江戸への朝鮮通信使・琉球使節=疑似冊封制度 
2、中国を中心とする冊封(朝貢)システム
3、印刷技術と書物
4、印刷技術と版画  
5、磁器
6、薬物と本草学
7、生糸絹織物
8、縞木綿と更紗  
 これらについて、順番を追って説明しよう。

1、江戸への朝鮮通信使・琉球使節
2、中国を中心とする冊封(朝貢)システム
 この二つは深い関連がある。
 1592年と97年、秀吉はインド、中国、東南アジア諸国を植民しようと無謀な計画を立て、まず朝鮮半島を侵略した。この戦争では冊封制度により中国が軍を出した他ため日本は二度に渡って敗戦する。その後、日本は大きな政権の転換をする。江戸時代がはじまった時、もっとも重要な外交問題が、この、朝鮮との国交回復だった。1607年、家康の招きで、504人の朝鮮使節団が日本へやって来た。家康はこの使節団を手厚く待遇したという。この後、1811年まで13回、1636年の正式な通信使から数えると9回、1度につき約400〜500人に達する朝鮮通信使が日本へやって来るのである。この時には日本の学者たちが漢詩の交換を求めて、近くを通る通信使を訪れたり、絵師たちがその行列を描いて浮世絵として売った。やがて行列の様子は山王権現(現日枝神社)の祭で模倣され、祭の練り物にまでなった。庶民にとって朝鮮通信使行列は大きな楽しみだったのである。
 この通信使の来日は、日本を中国に見立てた朝貢システムの模倣でもあった。1643年、琉球が薩摩を通じて、やはり使節を送るように求められ、1850年までに18回の使節を日本に送っている。1633年にはアイヌ民族のウイマム(あいさつ儀礼)が始まる。同じ年、オランダ商館長に対しても、江戸参府を義務づける。国内の各藩に対しても、参勤交代制度を義務づけている。地方は政治的、文化的、経済的な独立状態にあった。各藩は国内の朝貢国のごとき行動をとることで統一されたのである。この、朝鮮、琉球、アイヌ、オランダ、各藩のあいさつ儀礼をもって、幕府を中心にした疑似朝貢システムを作り上げた。
 参勤交代制度は意外な結果をもたらした。500人単位の団体が常に街道を使うため、全国の道路網は整い、宿場は整備され、宿のもてなしは競争をもたらした。それは庶民の旅をうながし、飛脚制度や為替制度が確立し、船による運搬もより活発になり、物資と情報の流通は格段の発達を遂げたのである。武士たちはこのような日本を背景に、藩校を作り、中国から大量の書籍を輸入し、朝鮮や琉球からは復刻本を入れ、国内でも漢籍の復刻が盛んになされるようになった。
 江戸時代は、拡大主義から国内市場活性化へ、戦争(内戦と海外戦争)から外交と政治思想確立へ、戦国武将の率いる国から文治官僚の率いる国へ、資源国から技術・産業・商業の国へ、輸入超過から自給へと、非常に多くの側面で、中世からの転換がおこなわれた。日本はようやく東アジア並になったのである。
 中国、朝鮮王国、琉球王国、ベトナム王国など日本以外の主要国は中国の政治思想を軸に知的レベルの高い官僚たちの国を作り上げており、そこには世界トップレベルの産業技術と文化とが醸成されていた。
 朝鮮半島に入った武将たちのうち、佐賀藩の鍋島直茂は陶磁器の工人をともなって朝鮮より帰国し、日本は輸出に耐えうる磁器技術を獲得した。それは伊万里焼=肥前磁器としてヨーロッパに輸出される。家康は朝鮮から大量の活字を持って帰り、「駿河版」という活字本を印刷して日本に印刷技術を根付かせた。これをもとに1608年、日本に商業出版が生まれ、江戸時代は出版の時代となる。多くの書籍が中国から輸入され、それは復刻、翻訳、翻案というかたちをとって、儒学書だけでなく、幾多もの農書が書かれ、本草学者が薬物の研究をし、「読本」「洒落本」など新しい文学を生み、浮世絵の成立にあたっては、中国の版画技術と大衆版画の構図が使われたのである。
 出版業の隆盛は江戸時代の市場形成にとって重要なものだった。しかし実際に多くのお金を動かした商品は布、つまり着物である。着物は絶えず変化と進化を遂げたが、それは中国、インド、ヨーロッパから影響を受け続けたからである。中国の生糸、織物、刺繍、染色の技術、インドの木綿布生産と糸紡ぎの技術、ヨーロッパのビロード、フリル、各種のパンツ等々が衣類の世界に絶えざる変化をもたらしたが、何といっても江戸時代特有の現象は、木綿の普及だったろう。木綿の種は古代から幾度も入っていたが、根付いたのは江戸時代である。日本にはオランダ東インド会社を通して完成品が持ち込まれた。それらは大別して「更紗」と「縞」だった。それをもとに日本では「和更紗」が生まれ、百種類を超える縞木綿が生み出された。ストライプを意味する「しま」は「東南アジア、南アジアからやってきた島もの」の「島」のことで、江戸時代では「島」と表記した。「縞」と表記するようになったのは後のことである。また「唐桟(とうざん)」という言葉も木綿のストライプを意味したが、それは外国のサントメからやって来た島もの、の意味だった。サントメとはインドのマドラスにある町の名前である。
 江戸時代は食糧や材木はもちろんのこと、布、紙、陶磁器、砂糖、薬品、書籍を自国生産し、その多くは中国、インド、朝鮮など高い技術を持った国から学んでその技術を自分のものとしていった結果である。江戸時代は資源国から脱却して技(わざ)を徹底的に身につけた時代だったのである。近代を合わせて四〇〇年間かけて積み重ねてきたこの技の伝承とシステムは、一時的なコスト優先によって現在消滅しようとしている。


履歴
1974年 法政大学文学部卒業
    法政大学大学院・人文科学研究科博士課程修了
 80年 法政大学第一教養部・専任講師就任
 91年〜第一教養部・教授
2003年より現職

現在のポスト:法政大学社会学部・メディア社会学科 教授
専門:日本近世文学・日本近世文化・アジア比較文化

主な著書
『江戸の想像力』(筑摩書房・1986年度芸術選奨文部大臣新人賞)
『近世アジア漂流』(1990朝日新聞出版局)
『江戸はネットワーク』(1993平凡社)
『江戸百夢』(2000朝日新聞出版局・2000年度芸術選奨文部科学大臣賞、2001 年度サントリー学芸賞)
『江戸の恋』(2002集英社新書)
翻訳(共訳)
『大江戸視覚革命』(1998作品社)
『大航海時代の東南アジア 氈E』(2002法政大学出版局)